卒業、おめでとうございます。

昨日は中学校の卒業式だったそうで。
商談で向かったある保育園には、卒業証書を持った男の子や女の子達が、保護者と共に挨拶に来ていた。
おばあちゃんの園長先生は、顔をくしゃくしゃにしてとっても嬉しそうに、大きくなった子ども達に囲まれていた。
副園長先生も、ニコニコ嬉しそうに子ども達とお話していた。

「いい光景ですねー。保育園にご挨拶に来るんですねぇ。」
「ねぇ。毎年恒例なんですよ。」
理事長先生と商談した私は、ほんわかした気持ちで話をしていた。

そんな姿を見て、思い出したことがある。
私が通っていた母校には、『恩師の日』 というのがある。
中学校受験をして入学した子ども達が、先生方に今までのお礼と、学校生活を見ていただくために、生活に慣れた6月頃に、子ども達が自分の先生を招待して、もてなしをする行事である。
招待する先生は決められていないが、大抵は小学校6年生の時の担任を呼ぶのが普通で、私が学生の時もそうした。

それが、ある年。私のところに、その招待状が来た。
年長さんの時に担任した女の子達、3名からのお手紙だった。
私はとっても驚いたけれど、とっても嬉しかった。
「私でいいんですか?」 ママ達にお聞きしたら、「子ども達が絶対KY 先生を呼びたいと自分達で決めたので・・・。ぜひお願いしますニコニコ

かくして、私は自分の母校に、子ども達の恩師として門をくぐったのだった。世の中に、こんな経験ができる先生はどれだけいるのだろう。
小さかった子ども達が、かつて私が身を包んでいた同じ制服を着て、晴れがましい顔をしている姿を見て、私はとっても感動した。

嬉しかった・・・といえば、私の恩師達も嬉しかったのだと思う。
だって、できの悪かった教え子が、突然恩師として現れたのだから。
私達のテーブルには、私の恩師達が次々と訪れた。
厳しかった家庭科の先生には、「あなたが先生・・なんてねぇ。」 と笑われ、高2のときの担任の先生からは、「あらっ。先生、ようこそいらっしゃいました。」 と丁重にご挨拶され、優しかった事務のお姉さんからは、「やっぱりー。ご招待客の名簿の中に名前を見つけて、あなたなんじゃないかと思っていたの。」 と歓迎され・・・。

先生方との再会はちょっと照れくさかったけど、私は私の教え子達のために、笑顔で堂々としていようと頑張っていた。

春は別れと出会いの季節。でも、別れは別れではなく・・・。
昨日は、卒業を祝うに相応しいお天気になって良かったですね♪黒


同じカテゴリー(あれこれ)の記事
来た!来た!
来た!来た!(2016-04-26 12:53)

20年
20年(2016-04-21 07:53)

できること
できること(2016-04-19 07:52)

あれこれ
あれこれ(2016-04-15 22:17)

この記事へのコメント
母校に呼ばれて行く機会があるなんてステキですね。
ごきげんようさんの母校の生徒、静岡の街中で今でもよく見かけますが、制服の着方もきちんとしていて(普通のことなのですが)安心しますね。
数年前にちょっと制服が変わってたのには驚きました。
Posted by じゅんこじゅんこ at 2012年03月20日 08:11
じゅんこちゃん、こんばんは☆

恩師の日の招待状は、本当に感激しました。
子ども達の小学校6年生の担任の先生方には申し訳ない・・・と思ったけれど、嬉しさが勝って、ついつい行ってしまいました。

制服の校章がね、大きくなったのがちょっとかっこ悪いと思うの。
私達の時の方が重厚感があって良かったな。
Posted by ごきげんようごきげんよう at 2012年03月20日 21:35
素晴らしいイベントですね、それ!
いつでも、感謝の心が大切ってこと・・・・


うん、素晴らしい!

それに呼ばれるごきげんようさんも、すばらしい!
Posted by ゆめパパゆめパパ at 2012年03月21日 05:31
ゆめパパさま、おはようございます。

そうなんですよね。
私の母校は、割と感謝、伝承、つながり・・みたいな心の教育が多かったような気がします。

制服のブラウスのボタンの色で中1~高3まで判るようになっていたのですが (赤、緑、黄、紺、水色、白)、そのボタンも学年ごと集めて、終了式の時に先輩から後輩へ引き継ぐという習慣がありました。
先輩から頂いたボタンを分けて、学年が新しくなる時に付け替えて始業式に臨む・・・という具合ですね。

だから、私が使ったボタンをもしかしたら、教え子達が使ったかもしれないな・・と思うと、より感慨深いものもあります。
そうやって、子ども達の中に、人と人はつながっていくんだという認識や、だからこそ関わりを大切にしなきゃ・・という思いも生まれると思います。

今は、外からボタンで学年が判るのは良くないということで、ブラウスにボタンはついていないみたいですけど・・・。
そういう理屈って何だかとってもつまんないですよね。
Posted by ごきげんようごきげんよう at 2012年03月21日 09:55
本来、人間が持っている優しさとか健やかさとか責任感とかで優しく包み込んでいたものを、そういうことを面倒なのか自分かわいさのためなのか、どんどん代わりにやってくれるものを作り上げて、それが法律だったりルールだったり・・・

ボタンを取ってしまった・・・
なんか、社会のゆがみの一つのような気がするって言ったら、言い過ぎなんでしょうかね・・
Posted by ゆめパパゆめパパ at 2012年03月22日 23:27
ゆめパパさま♪

おはようございます。
私は、誰も責任を取りたくないんじゃないかと思っています。

このボタンの件も、ご父兄から学年が外から学年が判って、何かがあったらどうするんだという意見があったらしいです。
おそらく学校側は、何かあっても責任は取れないから・・・と判断したのでしょう。

ある小学校では、学校が終わってもそのまま校庭で遊んではいけなくて、遊びたければ一度家に帰ってからまた学校に出かけるように言われています。参観日の後の懇親会のときも、子どもは校庭で遊んで親を待っていてはいけない。家に帰らなければいけないんです。
一度、家に子どもを帰せば、その後の行動は保護者の責任。
そのまま学校で遊んでいて、何かがあったら学校の責任。それはイヤだということでしょうね。

また、ある幼稚園では、縦割りで出かける卒園遠足が、保護者の「こんな寒い時に外でお弁当を食べるなんてイヤだ。」という意見で中止になりました。
これも、そのあと「ほら、風邪を引いたじゃないか!」と言われたら、園側として困るというところでしょうか?
じゃ、卒園遠足は一体何のためだったんでしょう。

何でも、本来の目的じゃないところで横槍が入り、しかもそれが通っていく。
まさに〝歪み〟ですね。
Posted by ごきげんようごきげんよう at 2012年03月23日 07:47
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
卒業、おめでとうございます。
    コメント(6)