ありがたいことに、相変らず見積作成にハマっていまして・・・。
あまりオイシクナイ、またはやりたくないお仕事や、お付き合いしたくない会社には、ちょっとばかし〝気持ち〟が反映しちゃう私

そりゃ、人ですから!「聖人」じゃありませんもの~。
(これがカトリックの学校に通い、カトリックの幼稚園に勤務した人が言う言葉でしょうかね。恩師が泣いているわ、きっと。)
そう。「聖人」と言えば、まるで「聖人」のような良い方々が私の周りにいつもいてくれるんです。
思い返せば小学生の頃。別にお願いしていないのに、私のランドセルを持って、いつも一緒に帰ってくれた男の子達が3~4人いたわ。
幼馴染のやっちゃんは、頼んでもいないのに私の宿題をいつもやってくれた。嫌いな絵画や工作も全部やってくれたなー。
やっちゃんはお医者さんになったけど、それは当たり前よ。いつも2人前の宿題をやっていたんだもんって私は思っています。
その代り、宿題もやらなかった私は、その後落ちこぼれ一直線

短大の頃は、優しいSHちゃんがいつも遊んでくれたし・・。
初めてアルバイトした時もSHちゃんが送り迎えをしてくれました。
父も母もSHちゃんと一緒だったら、アルバイトをしてもいいって。
今でも、私のお誕生日には必ずメールをくれるの。
(でも、私がSHちゃんのお誕生日を忘れちゃったのは内緒

)
幼稚園教諭になった時は、保護者がガッチリ守ってくれました。
新卒で年長児の担任になった私は、また受験希望が多いクラスを担任することになって・・・。(クラスの3/4が受験)
その中にはキー局のアナウンサー出身のちょっと有名なママもいて、1学期最初の参観会のあとの懇談会で言われたんです。
「新卒の先生じゃ、お受験が心配。担任を変えて頂きたい」って。
皆の前でこの発言。まぁビックリしましたねぇ。
でも20歳の私、ひるみませんでした。
「私は、幼児教育のプロとしての勉強をきちんとしてきました。
心配なのは判りますが、せめて、1学期だけでもお任せ下さい。
それでも納得できなかったら、園長先生に直接仰って下さい。」
それに、こんなことも言われましたね。
「子どものいないKY先生に何が判るんですか?」と。
私、言いました。(っていうか、言ったらしいです。)
「確かに私には子どもはいません。だから子どものことが判らないということではないと思います。子ども達を客観的に見られる人は必要なんじゃないですか?それが先生なんだと思います。」と。
どちらも今となっては、私はよく覚えていないんです。
その場にいた保護者の方々が、主任と園長にこの話をし、私達がKY先生をしっかりと守りますから・・と言って下さったのだと、私は主任のCH先生から聞きました。(これははっきり覚えています。)
「ありがたいわね。でも、あなたも十分立派でしたよ。」
CH先生はそういってくれて、私はとっても救われました。
昔はね、こんな保護者の方々がいて下さったんですね。
この先生を育てて行こう!って思って下さったのかもしれません。
だから、私みたいな気の強いはねっかえりの先生でも何とかやってこられたのでしょうね。
今は・・・通用しないでしょうかね。
こんなことを言ったら、保護者から袋叩きにあっちゃうかなー。
見える「聖人」と見えない「聖人」。
私達は、多くの「聖人」に守られ、生きているのかもしれません。
だから、どんな時でも感謝の気持ちを忘れてはいけないんですね。